佐世保の事件後、担任授業できず

事件後、担任教諭が授業をできず、学校を休んだという報道。

事件当時の担任は精神的ショックが大きく、臨床心理士のカウンセリングを受けていたとのこと。また、殺害された女子生徒が5年生だった時の担任教諭の動揺も激しく、他の教職員も体調不良を訴えたり、自責の念にかられている教職員もいるという。

これをどのように思うか、捉えるか?批判的な意見が多いのではないかと想像するが、いかがだろう。

当事者でも関係者でもない人は、ある意味無責任に発言できるのだと思う。私も例外にもれずそうだ。だから、この担任教諭を社会的役割から考え、責めたてることも可能だ。「児童は他にもたくさんいるんだ、授業をすべきだ」「先生なら学校を休むなんて無責任だ」、いろいろな声がある。

しかし、どうだ?健全な精神状態ではなくなってしまった状態で、授業を行うことの方が望ましいのか。それとも、精神的ショックを受けてしまったこと自体を否定するのか。教員として失格の烙印を押すのか。「責任感が強いなら最後まで向き合えるはずだ」「責任感が強すぎて自責の念に押しつぶされることもある」、同じ責任感をそなえていても、そのあとの結果は一様ではない。

この教員を擁護するわけではない。事件が起こったのも事実であり、それに対処していくのは残念ながら関係者であり、大人としての責任でもあると思うからだ。どのような出来事でも同じように、当事者、関係者は辛く悲しい想いの中、現実と向き合わなければならないと思う。ただ、関係者はこの担任だけではなく、多くの人がかかわっているはず。授業ができないことをただ責めるのではなく、関係者やマスコミ、延いては、われわれがこのような現実を受け入れていく必要性を感じる。

正論は時に強者が振りかざす剣の如く映る。当事者ではない者がやたらむやみにその剣を振りかざす必要も権利もないと思うのは私だけだろうか。

↓本日もよろしくお願い致します。
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by neko_tin_neko_tin | 2004-06-07 13:55 | 教育
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