イラクで拘束されたのは自衛隊派遣のせい

さきほどテレビのニュースで見た報道。ネットニュースではまだ見つけられていないので、詳細は今晩、もしくは明日書こうと思うが、これは、前回イラクで拘束されたジャーナリスト2名のうちのひとりが、国に損害賠償請求を起こしたというニュース。

自身のイラクにおける活動の自由を拘束されたのは、日本政府が自衛隊を派遣したためだとのことらしい。精勤的、肉体的苦痛に対する請求だとか。もう少し詳しい事がわかり次第、経過とコメントを掲載予定。

しかし、しっくりこない。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-08 16:01 | 社会

ネット、チャットに過剰反応

佐世保の事件以降、ネットやチャットについて、やたらと過剰な報道がなされているように思う。

以前に少年犯罪があった時も、掲示板への書き込みがあったし、これまでも事件にネットが関わってきたことはたくさんある。今回は小学6年生の事件だったために、こんなに報道されるのだろうが、なんだかぴんと来ない。

以前のコラムにも少し書いたが、時代は確実に変化しているのだ。携帯電話もパソコンも私たち大人には最近普及した新しい物に感じるかもしれないが、子どもにとっては当り前に存在しているものなのではないか。それを事件があったことで「それらは良くない」というのはいかがだろうか。

そもそも、子ども用向けのパソコンソフトもあるだろうし、学習ツールとしてパソコンを使っている学校も多い。その中で、ホームページやチャットに触れることがあっても、なんら不思議はない。もしも、そこまで子どもに悪影響であると考えるならば、R指定状態にするしかないのではないだろうか。

「勉強でパソコンを使うのはいいが、遊びはダメ」といわれたら、どうだ?これまで良しとされていた子どもはきっと理不尽に思うだろう。おもちゃを取り上げられた、そんな気分かもしれない。

大人が作り上げた産物を子どもが当り前に使っているのが現実だ。そして、今後はもっと普及していくだろう。ネットやチャットが良くないのか?本当にそうなのか?所詮、ネットもチャットもツールだ。大人がネットをコミュニケーションの一部として利用している以上、早かれ遅かれ子どもにも浸透していくにちがいない。ネットやチャットの向こう側にいる大人、そう、わたしたちの問題でもあるのではないだろうか。

ネットやチャットは顔が見えない。知らない人ばかり。「世の中、いい大人ばかりでない」、と言われたら、子どものあたしはきっと「世の中、いい子ばかりじゃない」と答えたかもしれない。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-08 11:06 | 社会

佐世保の事件後、担任授業できず

事件後、担任教諭が授業をできず、学校を休んだという報道。

事件当時の担任は精神的ショックが大きく、臨床心理士のカウンセリングを受けていたとのこと。また、殺害された女子生徒が5年生だった時の担任教諭の動揺も激しく、他の教職員も体調不良を訴えたり、自責の念にかられている教職員もいるという。

これをどのように思うか、捉えるか?批判的な意見が多いのではないかと想像するが、いかがだろう。

当事者でも関係者でもない人は、ある意味無責任に発言できるのだと思う。私も例外にもれずそうだ。だから、この担任教諭を社会的役割から考え、責めたてることも可能だ。「児童は他にもたくさんいるんだ、授業をすべきだ」「先生なら学校を休むなんて無責任だ」、いろいろな声がある。

しかし、どうだ?健全な精神状態ではなくなってしまった状態で、授業を行うことの方が望ましいのか。それとも、精神的ショックを受けてしまったこと自体を否定するのか。教員として失格の烙印を押すのか。「責任感が強いなら最後まで向き合えるはずだ」「責任感が強すぎて自責の念に押しつぶされることもある」、同じ責任感をそなえていても、そのあとの結果は一様ではない。

この教員を擁護するわけではない。事件が起こったのも事実であり、それに対処していくのは残念ながら関係者であり、大人としての責任でもあると思うからだ。どのような出来事でも同じように、当事者、関係者は辛く悲しい想いの中、現実と向き合わなければならないと思う。ただ、関係者はこの担任だけではなく、多くの人がかかわっているはず。授業ができないことをただ責めるのではなく、関係者やマスコミ、延いては、われわれがこのような現実を受け入れていく必要性を感じる。

正論は時に強者が振りかざす剣の如く映る。当事者ではない者がやたらむやみにその剣を振りかざす必要も権利もないと思うのは私だけだろうか。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-07 13:55 | 教育

喫煙、事実無根と警察庁

昨日のブログに書いた、地村夫妻の子供の喫煙報道。警察庁からも事実無根との抗議があったという。まったく売れればいい主義的な雑誌には具合が悪い。誤報や誇張した報道は、活字の暴力と言っても過言ではない。

昨日の報道の経過として本日記載しました。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-07 13:21 | 社会

拉致事件と喫煙報道

拉致被害者の地村夫妻の次男(16)が喫煙していたという報道。家族が事実無根だと抗議しているのに対し、新潮社は警察関係者の証言を得ているとの再回答。

まず、これが事実であろうがなかろうが、報道する必要があるのか?拉致事件の被害者、その家族のネタなら、何でもかんでも報道する必要があるのか?

視聴率やら売上やら、そのためになら何をしても構わないのか?「報道」とはなんぞや?メディアとは何か?本当に首を傾げたくなる。

真実を正しく報道することが何より大切だと思うが、真実ならばどんなことでも報道していいのだろうか?報道する必要性や、メディアの公共性など、もっと考えていただきたいと思う。

しかし、今回の報道が真実でなかった場合、あまりに軽薄というか、安直というか、何を考えているのか、と呆れるばかりだ。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-07 00:38 | 社会

橋田夫人の会見から

イラクで殺害された橋田氏の身元確認がようやく済み、夫人の会見が行われていた。

まだ殺害されたか否かが不明のとき彼女が言った「ジャーナリストの妻ですから」という言葉が今もまだ耳に残る。自分の夫が殺されて、どれほど辛いことか。気丈に振舞う夫人の姿を見るたびに、こちらの心が痛くなる。

私の父も、私が25歳の時に他界した。そのときの母は悲しみのあまり、記憶がないと言っていた。ちょうど夫人と同い年の時のことだ。

亡くなった人は最大の被害者であるが、残された家族はその亡骸をこの目で確認し、それを受け入れ、心の整理をしなければならない。そういう意味では、家族もまた充分に被害者だ。亡くなった人の苦しみや痛みを想像し、無力な自を情けなくも思い、そしてそこにその人がいない悲しみも味わう。辛い辛い作業だ。これは、なにもこの事件に限ったことではなく、毎日起きている殺人事件、事故、病死、全てに共通する想いだだろう。

今回の会見を見て、これ以上、このような会見を開かなければならない人が増えないことを祈ると同時に、会見すら開けずに悲しんでいる家族がイラク現地に多くいることを、私たちが忘れてはならないと確認する。

夫人の会見を見て、強くそう感じた。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-04 09:39 | 社会

恋人を待てる時間は30分?

恋人を待てる時間は30分という調査をセイコーが発表した(6月4日時事通信)。

これは、セイコーが10日の「時の記念日」にちなんで、遅刻をどれくらい許容できるかについて調べた結果だそうだ。

自分は?と考えてみると、30分も待てるだろうか?若かりし頃、最長3時間近く待った記憶がある。しかし、それは恋人ではなく、少し気になる人だったことと、若さがなし得た技。携帯電話やメールが普及し利用している現在、30分も待つだろうか?私なら、電話かメールをして、その30分間違うことをしているだろう。

そもそも女を30分を待たせる男なんぞ論外だ。などと、自分を棚に上げ言ってみる。

みなさんは、どれくらい待てるだろうか?

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-04 09:21 | 暮し

大人の論点、子どもの感覚

今日も長崎の事件のことを少し書く。

今朝のTVで「パソコン・チャット」を小学生が使うということについて、なにやら議論していた。文字だけのコミュニケーションのパソコンやチャットが良くない、そう言わんばかりだった。

大人の論点。
物が悪いの、何が悪いの、そういう話が大好きなのは大人だけではないのか。自分の幼少の頃のかすかな記憶をたどると、もっと感覚で生活していたような気がする。感情に任せて、日常を過ごしていたように思う。

その感覚、感情の中で最も重要なのは、友達という存在だった。親に、友達のことを悪く言われて、家出をしたくなったこともある。それほど、友達は大切だった。それが例え、一緒にトイレに行く仲間でも。

親に言えないというより、言いたくないことがたくさんあった。でも、友達にならなんでも言えた。子どもには、子どもの世界があった。大人は壁の向こう側にいるような、そんな感覚もあった。私はそうだった。そう考えれば、なにも今の子どもたちが特別な感覚を持っているわけではないと思う。

ただ、殺人を犯してしまったという事実がある以上、何かが違うことは確かだ。その違うことが、パソコンだのチャットだのという大人の論点はおかしい。大人になってしまった今、子どもの世界に入ることは困難だし、子どもの頃の感覚にたちかえるのも難しい。しかしながら、放っておくわけにはいかない。なぜなら、これは立派な殺人事件だからだ。

大切なのは、異なる時代を生きている異なる子どもたちの感覚を、より詳細に検証、分析し、少しでもそれらを把握することではないか。原因は、コミュニケーションツールではなく、コミュニケーションそのものではないだろうか。

これもまた、大人の論点かもしれないと思うと切ない。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-03 09:32 | 社会

加害者擁護-追記-

今日、加害者の親のコメントが出ていた。断片的な報道だったので、どこまでこのことについて述べたのかはわからないが、しかし、「ショックだ」というコメントに何だか違和感を感じた。

今日の加害者擁護でも書いたけど、ショックなのは、被害者の親だ。自分の子どもに問題がなかった、という前に、言うべきことがあるのではないだろうか。ちょっと偏っているかもしれないが、そう思った。

加害者が被害者のようだ。報道のせいか?ともかく、違和感を覚えるばかりだ。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-03 00:00 | 社会

加害者擁護

ここではあまり大きな事件を取り上げないいつもりだった。しかし、今日はどうしても一言書きたい。

昨日、あまりに痛ましい事件が長崎県で起こったことはもう既に皆が知るところのニュースである。この事件も、いつものように少年法などの問題点などがクローズアップされるのだろうか。

今日、私が書きたいのは、少年法だとか刑事責任だとかそういうことではない。加害者と被害者について書きたいと思う。

昨日、被害者の父親が新聞社の局長ということもあって早い会見を開いていた。同業者である記者からの時に心ない質問に、とつとつと答えていた。

今朝、違う番組で、この加害者の少女の将来を憂い、社会が守らねばならないというようなコメントをしている人がいた。

これまでにも、少年少女の事件がある度に、なぜか被害者の親や家族の写真、コメントだけが放送される。加害者側の親がテレビにでることは、そうそうない。しまいに、犯罪を犯したものが子どもの場合、もちろん刑事責任を問われないし擁護されているため、真実を知ることが困難だ。

殺されたのは誰か。殺された側の家族は被害者だ。だったら、なぜ子どもだからという理由で、殺した側の本人と家族が守られるのか。子どもが責任を取れないと判断するならば、残念だけれど親が何かしらのアクションを起さねばならないのではないだろうか。

インターネットや雑誌に、加害者の家族や写真、実名を出すのは良くない、という風潮があるようだが、被害者ならいいのか。私にはそこらへんがしっくりこない。一番に考えるべきは、被害者、そしてその家族のことではないのだろうか。

加害者の子どもも守ろう、親だってそんなことになるとは思わなかったのだから一種被害者だ、などというならば、被害者の親はどうすればいいのか?我が子は殺され、その上、相手の親も守られる。そのとき、被害者家族は、悲しみも怒りも全て自己処理しなければならないということか。あまりに理不尽だ。

最近、さまざまなニュースの中で、どうも全体的に被害者を責め、加害者擁護の風潮が強まっているように感じるの。それは、メディアのせいなのか、それともわれわれの感覚の変化が、単にメディアを通じてあらわれているのだけなのか。こう感じるのは、私だけだろうか。

加害者はあくまで加害者であり、被害者ではない。わたしたちは、ニュースや新聞などを見聞きする際、大事な事を見落とさないいよう注意を払わなければならない。当り前のことだが、一人一人がそうしなけばならないんだ、と強く感じた。

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# by neko_tin_neko_tin | 2004-06-02 09:48 | 社会